2013/03/20

布団から応答せよ



私は、布団から見る景色が好きだ。中でも、窓の外を見つめること。気づけば多分梅の花が咲いてて、春だなぁって思ったり。やっぱり、春のあの匂いは好き。「季節の変わり目」となる部分の匂いは好き。春に変わる瞬間、夏に変わる瞬間、夏に変わる瞬間、冬になる瞬間。

匂いが、時間や環境の変化を、私に伝えてくれる。今まで、「変化」というものには、疎いものだった。いや、むしろ興味がなかった。しかし、今、その変化を目の当たりにすると、怖くて、悲しくて、寂しくて、たまらない。「寂しさ」という理由となる存在はわかってる。それらに全く関係ないものに思いを伝えるのは容易い。しかし、実際そのものたちに思いを伝えるのは、あまりにも困難で小恥ずかしいものなのだ。

ありがとう。大好き。

簡単なことが言えない。

なんとか、絞り出た言葉はダサくて、もっと伝えたいのに。もっと言いたいのに。と、腹ただしささえ感じる。

「依存」という言葉が頭をよぎる。基本的、物事に「依存」をしないようにとある程度は境界線を引いていた。しかし、私は与えられたその「居場所」に「依存」をしている。そのために「自立」という手段を考える。しかし、それらに触れるたびに自立が難しくなって甘えてしまう。


自立することは、そこから離れることじゃない。

誰かから言われた。

離れようとしてた。しかし、そこから生まれる「why(なぜ)?」離れる理由がなかった。唯一甘えることができる。そんな人たち。手放したいわけがない。だから、「再び会える」努力をしようと思った。そして、もらった「力」を糧に、常に全力で走ろうと思った。

まだまだ、未熟。何しても未熟。不満ばかり。


ちゃんと大人になって、大切なたった1つの存在つくって、常に心に余裕もって生きていけるようになりたい。


もうすぐ、「はじまり」の時がくる。


私はどこから「はじまり」を迎えることになるのだろうか。



 

2013/03/12

3.11



3月12日になりました。2年前のあの日、誰もが昨日は夢だったんだ。悪い夢でも見てたんだと、すべては嘘だと願いながら迎えた今日。そして、その願いは何もきくことなく打ち砕かれた今日。一人一人、さまざまな思いを抱えて「今日」という日を迎えたのかもしれません。

2年前のあの日、私は、夜の19時ごろに家に帰ってやっとことの重大さがわかりました。それぐらい、何も被害もなく、何事もなく笑い、部活とかして、友達に「また明日」とあいさつし、「普通」の生活をしました。そして、その日に限って、家族で大喧嘩。しかも深夜までです。あほかよ。馬鹿かよ。と叱られるかもしれません。今、思えば恥ずかしいですね。上京して思うことは、周りがあの3月11日に敏感なこと。私の地元では、そういった呼びかけはありますが、どこか「他人」的な感覚が隠れて存在しているような気がします。

先日、「日本が」被災したのです。という言葉を見ました。その瞬間、なんとういうか、初めて、私は実感したような気がします。多分、いや、きっと「東北が被災した」といった他人行儀な感覚が私にはあったのでしょう。

最低だ。冷たい人間だ。なんとでもいってください。その通りではないかと思います。

2年たってやっと、私は、気づいたのです。

私は、成長でもしたのでしょうか。それとも、環境に感化されただけなのでしょうか。

私にはわかりません。

こんなやつが、平平とすごしていて、本当に申し訳ないです。

文章だけ読んでて、自分勝手だなっておもいます。開き直ってるんじゃねえよって思います。ただ、あの日。あの日を考えるだけで、つらくてつらくて、悲しいです。可哀相なんて思いません。その言葉は、客観視してるような気がしてならないからです。辛いのです。悔しいのです。

私には、大切な家族がいます。友人がいます。帰る故郷があります。

ありがたいです。どの存在もありがたいです。

失う、悲しみを私は感じたことがないです。それは、そういった出来事がなかったから。だから、大切な何かが欠落してるって、このことだと思います。

怖いのです。一瞬で。たった一瞬で。大切「だった」というものに変わるのが怖いのです。


私は生きてます。ありがたい。生かされてます。

2013/03/07

ima


(design;kimachi  phot:kawatani)


私は、人が嫌いで仕方がありません。

私は、人が愛おしくてなりません。




いつも、頭の片隅にいる、それは、いつでも、簡単に消えそうなんだ。





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IMAっていう雑誌が好きだ。いや、雑誌っていうより、IMAという言葉の響きに魅かれる。














2013/03/03

身体休日


何か節目の時、いつも気づくのだ。あぁ、なくなるんだと。いつも、当たり前のようにあったものは気づいたらどこかに行っちゃって、気づけば私だけが取り残されているのだ。「いつまでも」「ずっと」っていうものは存在しない。しかし、無意識といえばいのだろうか、私はそれを求めてしまう。なんの根拠もなく、そうだと確信し、それに甘え安心し、自分がいなくなっても、そのものが存在するのだと。

そのたびに、「もう二度と」っていう言葉が脳をかすめる。

どこかにいくのかい。行っちゃうのかい。

そう、聞いては、同じ言葉が返ってくる。

だらだらと、言葉を並べてみたけど、「不安」なんです。

また、新しい生活が始まって、嫌でも変わっていく環境の変化。これまで、それに対しては柔軟に受け止めてきたつもりだけど、初めて「不安」を感じている。

原因とかはよく自分が分かってるから自己解決しかないんだろうけど、それをまとめる言葉が思いつかない。



手放したくないもの。守りたいもの。大切なもの。ってずっとずっとわからなくて探してたけど、本当にそれって、あまりにも身近にあって、見失いがちだったんじゃないかと思う。