2013/03/12

3.11



3月12日になりました。2年前のあの日、誰もが昨日は夢だったんだ。悪い夢でも見てたんだと、すべては嘘だと願いながら迎えた今日。そして、その願いは何もきくことなく打ち砕かれた今日。一人一人、さまざまな思いを抱えて「今日」という日を迎えたのかもしれません。

2年前のあの日、私は、夜の19時ごろに家に帰ってやっとことの重大さがわかりました。それぐらい、何も被害もなく、何事もなく笑い、部活とかして、友達に「また明日」とあいさつし、「普通」の生活をしました。そして、その日に限って、家族で大喧嘩。しかも深夜までです。あほかよ。馬鹿かよ。と叱られるかもしれません。今、思えば恥ずかしいですね。上京して思うことは、周りがあの3月11日に敏感なこと。私の地元では、そういった呼びかけはありますが、どこか「他人」的な感覚が隠れて存在しているような気がします。

先日、「日本が」被災したのです。という言葉を見ました。その瞬間、なんとういうか、初めて、私は実感したような気がします。多分、いや、きっと「東北が被災した」といった他人行儀な感覚が私にはあったのでしょう。

最低だ。冷たい人間だ。なんとでもいってください。その通りではないかと思います。

2年たってやっと、私は、気づいたのです。

私は、成長でもしたのでしょうか。それとも、環境に感化されただけなのでしょうか。

私にはわかりません。

こんなやつが、平平とすごしていて、本当に申し訳ないです。

文章だけ読んでて、自分勝手だなっておもいます。開き直ってるんじゃねえよって思います。ただ、あの日。あの日を考えるだけで、つらくてつらくて、悲しいです。可哀相なんて思いません。その言葉は、客観視してるような気がしてならないからです。辛いのです。悔しいのです。

私には、大切な家族がいます。友人がいます。帰る故郷があります。

ありがたいです。どの存在もありがたいです。

失う、悲しみを私は感じたことがないです。それは、そういった出来事がなかったから。だから、大切な何かが欠落してるって、このことだと思います。

怖いのです。一瞬で。たった一瞬で。大切「だった」というものに変わるのが怖いのです。


私は生きてます。ありがたい。生かされてます。

1 件のコメント:

  1. とある東京の人が震災半年くらいで大阪にいった時、
    震災は日本を1つにしたなんていう人がいるけど、震災は日本を分断した。
    ってツイートしてた。

    その通りだと思った。
    もちろん震災当時はニュースに釘付けになった。でもそれだけだった、東京に来て温度の違いが悔しかった、悔しいなんて表現は不謹慎かもしれんが、揺れも体感してないのに当事者意識なんてあるわけがないから。

    だからおれらは絶対あっちの人達とその点においては分かり合えないよね、かなしながら

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